ながーい商店街 ベルロード

ベルロード(彦根巡礼街道商店街)

彦根巡礼街道商店街、通称ベルロードは滋賀県彦根市の芹川から、戸賀の交叉点まで約1.6キロメートルもある、一事業所としては日本最長の商店街です。道沿いにずらっと並ぶ、ベルの形をした街灯は商店街のシンボルにもなっています。

ベルロードの歴史

奈良時代の西暦720年に藤原朝臣房前大臣が近江若狭按察使として赴任、その房前大臣の守護仏を彦根山の神の鎮座する地を変えて仏寺を創立し奉祀した。彦根山西寺である。その寺に安置されていた観音は、その像一寸八分(約5.5cm)金の亀に乗っていたので、後に彦根山を金亀山と言ったり、 お城の周辺の町名にも金亀町と付けたりしました。

この観音は霊験あらたかな観音であった。扶桑略記(神武天皇から堀河天皇に至るまでの漢文の編年史)の臼河天皇の承歴3年の条に、同年摂津国水田郡石良の里に{曽侶の沙門徳満という者がいた。 二十歳の時両眼が盲になって3年の後、鞍馬寺に参詣して祈祷したが霊験がなかった。そこでこの寺を出てさらに長谷寺にこもり祈祷した7日目になって、夢の中でこ座所のとばりの中から老僧が出て来たりて「自分の力では及ばないので、汝は近江国犬上西郡の彦根山の霊験あらたかな西寺観音に参詣し、誠をつくして祈願するがよい。3日のうちに霊験があるであろう」と言った。

夢が覚めて後、長谷寺を出て彦根山西寺に到着した。承歴3年(l 079年)3月9日のことであった。 至心涙を流して祈願をつくしたところ、3日目の戌の刻(午後8時ころ)になって両眼が開き、はじめて仏前の灯明が見えた。その僧は感激のあまり西寺に住んでいつも入を集めてお経をあげ、その功徳を説いていた。

僧沙門徳満の観音利生談は瞬く間に四方に響き京の都にも伝わり、内大臣藤原師 道がこの年ごろ耳がよく聞こえなかった、しかしこの寺に参詣されてからその病気がたちまち治ってしまった。そこでお礼参りとして寺にこもって祈祷するため、一位藤原朝臣師12月10日ふたたびこの寺に参り3日間こもった。15日に摂政従実と左大臣源朝臣俊房が同じ車に乗って彦根西寺に参詣した。22日から24日にかけて白河天皇が皇族や公家 ・ 大臣たちを引き連れて同寺に参入された。

京都の貴族や庶民、国内の僧侶や俗人、老若男女が寒風をしのいで、車を走らせ、大雪をおかして、馬にむち打ち皆こぞつて参拝した。昔は大変賑わった街道であったようです。

ところが、時代が移り天下分け目の決戦が関ヶ原で起こり、束軍徳川方の勝利で西室の石田三成が破れ、佐和山城主に戦功により井伊直政が岡崎城から移封されてきました。そこで彦根山に新しく築城することになり、 お城を建てるについて霊験あらたかな観音様が邪魔になるので移座せよとのことになり、他に移された。しかし移されたのが何処へ、誰が運んだのか解らなくなりました。以来今日まで調査・研究されましたが、全く不明であり、巡礼街道の名のみ残っていると言う現状であります。

巡礼街道は彦根だけではなく大津市の寺辺から岩間山へ行く道から千町から滋賀大学教育学部の裏門の前を通って寺辺町に抜け石山寺門前に出る道、近江八幡市の長命寺、 安土の観音正寺への道程等、現在の県道大津能登川長浜線が大体巡礼街道と言うことになっているようです。

ベルロードのキャラクター

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